プレ(8/1)セカンドハウスを借り上げたい!


\セカンドハウスで一人っきり空間を時間を味わいたい/

 

それは結構もう何年も心の中でもやもや思い描いていたことだ。

だけど、それをするに対しての費用などを考えると二の足どころかずっと足踏みをしているような状況だった。

 

だが、転機はある日突然くるものだ。

 

僕にとっての転機は折からのレトロブーム、だった。

 

10~15年ほど前、デジカメの波におされてフィルムカメラがもうそれはひどい扱いを受けていた(ように感じた。ワゴンセールや叩き売りあたりまえ、売り切り御免な)時代に、デジカメは画素を競って各社続々と技術革新をし、しのぎを削りながら隆盛を誇っていたころに、オールドカメラ、オールドレンズ、フィルム、中版カメラに魅了されている自分がいた。

世にいう逆張りなのかもしれないが、便利になればなるほど失われていく操作している感、これは車のマニュアル車にも言えることかもしれないが、そういう自分で操っている、撮っている感がほしかったのと、純粋にデジカメの値段に比してイメージセンサが割高で、これなら中版カメラで現像したほうがいい写真が撮れそうだ、と思ったからだ。

真四角のどでかいスタジオカメラをわざわざ屋外に持ち出し、その剣先にはそれまた大きな中版レンズ備えていたりした。

よくビックカメラで現像しに行ったものだ。懐かしい。

 

思い出語りは尽きないので先に進むが、所有のマイ中版がもう何年もほこりをかぶっているころ、どうもレトロブームが来ているという話をどこかのネットから拾った。

 

僕の持っているのも高く売れるのかな?

 

そう思って検索してみると、それはそれは驚くほどの高騰ぶりだった。

 

売ろう…

 

そう思うまでそれほど時間はかからなかった。目がくらんだのだ。

だけども、やっぱりカメラの現物を棚から引っ張り出してみると、

 

やっぱりやめようかな…愛着が…

 

などとも思ったが、試しにいらないレンズを1本、ネットオークションにかけたところ

 

 

買値の3倍ついた。

 

 

僕の心にも火がついた。いや、鬼が宿ったのかもしれない。

 

そこからはすべてのレンズ資産の売り払いを強行した。

だけど冷静さも忘れてはいなかった。あるいはそこに残ったわずかな愛着がそうさせたのかもしれないが、本体だけ売れ残ってレンズが残ったら困るから、と本体は最後まで売るのを控えた。売れ残ったらまたいつか使おうと思ったのだ。

 

だけどめぼしい(と思ってなかったものも)全部買われていった。

 

印象深いのは、2年ほど前になんとなくやすかったから買ったレンズだ。

買ったはいいが、実は自分が思っていたものと間違えてかっただけで、1回も使わずにいた。

 

そのレンズを1年前に売ろうとしたときに値段を見たら買値割れしそうだったのでそのまま死蔵したのだが、これがそこそこ高く売れているらしいというのが最近の落札相場だった。

まぁ売ってみっか。

 

出品した。売値ほどでもいいかなと思っていたが、おもしろ半分に買値の10倍ほどで出品した。

 

二日ほどで入札一発目が入った。死ぬほどおどろいた。

え?買うの?

 

それが僕の発した心の声、しゃべるつもりもなかったのに、思わず口をついてしまった言葉だった。

ネットオークションは、出品から二日くらいまでに入札がある場合、得てしてお買い得感があると思われているイメージだ。実際相場並みの値段であれば、最後の最後、オークション終了間際の1時間くらいでぽろっと入札が入り、1件だけの入札で終了することが多いというのが経験則だ。

ようは、このレンズは世にお買い得と認識されている可能性が高いということがわかった。買値の10倍で出しているにもかかわらず、だ。

僕は舞い上がった。もうこのままおわってもいいかなと思った。

だけど僕はその驚きをさらに打ち破られることになった。

 

オークション終了の最終日、22時ころに終了時間が設定されていただろうか。

僕はその日、早く寝てしまった。もう売れるのはわかっていたのもあるだろうが、満足していた。結果は気にならなかった。

 

このままでいい、そう思っていた。

だけど、朝起きたらなんと。

なんとである。

 

10倍で値付けしたものが、さらにその3倍にまで跳ね上がって終了していたのである。

ようは3倍で10倍だから30倍ということだ。なんども心のそろばんがぱちぱちした。こんな簡単な計算なのに、額が額なので僕は何度も計算した。

 

え?30倍?まじで?

まどろっこしいので値段を出してしまうが、7000円で買ったレンズが17万円の値をつけて終了したのだ。そう、計算が合わないのはぼやかして書いていたからある程度雑に計算していただけで、実際は24倍なのだ。手数料が1割引かれるから実際に手にするのは15万円ほどだ。計算すると21倍か。

驚愕した。いたずら入札を疑った。こんなにお金を払ってくれる人を疑ってしまうくらいに信じられなかったのだ。

だけど入金がなされた。買う気なのだ、この人…いやこの御仁は。

 

配送前の梱包のとき、自主検品のとき、その持つてが震えた。

きのうまでは正直落として壊れても「あーあ」くらいで済んでいただろう。だけど今は違う。

 

買ってくださった御仁のために精魂こめて検品をし、どんな傷も破損もないように梱包させていただかなければならなくなったのだ。

 

僕にとってはこれはもはや神事級の儀式となった。

きっと天皇に贈り物をする人などはこんな神妙な気持ちになったことだろう、などと勝手に思いをはせたりもした。

 

なにはともあれ無事配送が完了するまでは上にも下にも置けぬお荷物さまの扱いとなったのだ。

金は人を変える。それは悪い意味でも買えるし、また心にピリッとした神妙さを宿させるという意味でも変えることがあることを知った。

 

いかん、あまりに儲かったのでついツラツラ書いてしまった。それはいいんだ。

 

最後に、タマ数が多いのかそれほど売れないとわかってたレンズと本体含めまとめうりにした。

これも買値の2倍にはなった。

 

僕はすべてがおさまったあとしみじみ実感した。世の中、お金のあるところにはあるんだなぁ、と。

 

そういうわけで、手元に30万円ほどのお金が舞い込んできたのだ。

 

最初は株の資金として使おうと思い、実際そうした。

 

だけど、もやもやこころに浮かんできたのは

 

セカンドハウス体験をしたい!

 

というあのことだ。いわば書斎的な静かな自分だけの空間がほしいということだ。

 

でも、何をする?そこで何をするんだ?

ひとりっきりになるだけでなにもしないでだらだら過ごすのならそれはあまりに浪費といえよう。

 

なので僕はそこに費用対効果でなるべく使った以上に意味がある価値があるということを見出す作業をすることにした。

 

思ったことは、

・ひとりきり時間、しずかな時間がとれること
・リモートワーク全盛の時代により気分も変えられ静かに仕事ができること
・日々の空いた時間などに行く場所がなくて喫茶店などに行かずとも帰る場所があるということ。
・資格の勉強をちょうどしたいと思っていたところだったこと。

これだけの理由があるなら、もちろんそれでも部屋いっこそのために借りるのは相当なぜいたくだとは思うが、ハイコストパフォーマンスを生み出せる可能性をすこしだけ見出した。

例えばリモートワーク用に部屋を借りるとして、それが1時間1000円と仮定したとき、コミコミ家賃5万ほどの部屋を借りるとざっくり想定するとそれは、

リモートワークの日に8時間滞在×4日=32000円。

週1で半日使っただけでも、50000円-32000円で、あと18000円分の価値を見いだせれば済むことになる。

週にあと2回ほど、仕事終わりから2時間ほど滞在したとするなら、

週2×2時間×4週間=16000円 となり、ほぼほぼ50000円になり元が取れるわけだ。もちろんそれ以上部屋を使えばどんどん得をする。

 

残業が少ない職場で、リモートワークが導入されており、また普段からほかに特に趣味に時間やお金をかけないなら、これはありだな、と思った。

あとは期間。永続的に借りられるのはそれは理想だけど、さすがにそれは金銭的に難しい。

 

6か月ほど、半年ほど体験できれば万々歳かな、というのが自分なりの答えだ。

 

部屋の初期費用で10万円、必要な道具などで10万、家賃光熱水費で月5万×6か月、50万ほどを覚悟した。

これはなかなかに大きな額だ。実際借りるまでの数か月、ずっと葛藤してきたことでもある。

だけど最後はやっぱり「できない体験をしてみたい」「ひとりきり時間をほしい」という気持ちが僅かに上回った。

というか、非日常をすこしはすることで自分に投資するのもありかと思ったわけだ。株式投資が不調だったのもあり、ならば自分にしとくか、というのもあった。儲けてからやろう、などと甘いことを言っていると、むしろ株資金すらすりかねない。だからもう腹を決めた。

というか、そういう腹の決める判断を自分ですることもまた自分を成長させる糧なのだと思った。あたらしいことをするというのは新鮮味ということと自分を成長させるということと、いろいろ投資効果はあるものだと知った。

 

そういうわけで僕は十数年来の夢であったセカンドハウス de マイ書斎 を実現しようと思い立ったわけだ。

 

またオークションで儲かった話をしたかったわけではなかったが結果としてはしてしまったし後悔はしていないが、それよりも、手に入った資金で賄えることをせず、むしろさらにそれに自分でプラスして一歩を踏み出すようなことをすることにも価値があると思った。

得したからその中でできることをしよう、というのも堅実で魅力的な考え方だが、そこにプラスして撃って出るというのもなかなかに貴重な気分を味わえる経験だと思った。

 

前置きとしては長くなったが、僕はこのセカンドハウスの一時の所有について、はじまりから終わりまでを記録していこうと思う。

せっかく体験することなら、日記にでも残しておこう、という感じだ。

日記など三日坊主の僕がそう思うこともまた投資効果のひとつだろう。三日で終わらなければ、ではあるが。