部屋にいかな過ぎてさすがになんとなく気持ちに触るようになってきた
休みの夜に時間ができ、やもたてもたまらずに駆り立てられるようないった
雨にぬれた落ち葉、ホットコーヒーの湯気
秋がここまで深まってくるのをゆっくりかんじたかったとは思うけれど、またそういう未来を想起したのも、部屋を借りたことで可能となったからこそ、からこその感傷。わるくはない。
部屋に灯をつける。
なにもかわってない。ホコリなどもきになるものはなかった。
となりの部屋が空いたことをネットで知っていた。新聞受けにシールが貼ってあったからそういうことなのだろう。
ここは部屋と部屋に挟まれた場所。角部屋が良かったけれど、まぁそれもタイミングだからこういうこともある。
一階にも空きが出たのを知っていた。まぁそれもタイミング。
後悔やifというものは、感傷を伴うけれども、そこに悲しみや苦しみを見出すのか、かなわなかったものに対する美しさ散っていったはかなさに耽るのかは自分の考え次第だということを最近知った。
後悔することが必ず身をよじられて悔し涙を流さなければ、もう何もしたくないくらいに世の中に絶望しなければいけないわけでもないことに気づいた。
長くて3時間か。
部屋で過ごす
そうそう、ランプをつけるほうが雰囲気がよかったんだっけ。
カーテンを開く。すっかり陽の落ちた空が見える。今日は雨でターミナル駅の摩天楼は見えない。
ここなら。
寝ながら月待ちのように、星を眺めれそうな気がした。
もちろん掃き出し窓は全開でないと飛散増資ガラスの黒い格子の網目がじゃまだから外にいるくらいの寒さ対策は必須だが。
この毛布あったかいな。まだまだこれでいけそうだが、12月を越えたころ、真冬はどうかな?
とりあえず無の世界を堪能しよう。
いつものように寝そべり、毛布にくるまり何もない時間を天井に映して眺める
今ここで死ぬとしたら、僕は何を思うだろう
いいことを思い出すだろうか
悪いことを思い出すだろうか
死にたくないとこわくなるだろうか
死んでもいいとおだやかになるだろうか
この部屋はたくさん自分と対話することをあたえたくれる
しずかな空間は思索のとき
僕はこの時間を愛する、堪能する。耽溺すら、する。