〇67日目(12/14水)


この部屋は、あの部屋と似ている。

離れにあったあのプレハブ。
中学、高校と過ごした僕の部屋。

あのころはカーテンを一日じゅう開けることなんてなかった

いまはそれを開け放っている。

 

僕はあの頃とはもうだいぶんずいぶん

遠いところにきてしまった。

 

距離の問題じゃない。距離はたいしたことはない。電車で二十分もあればつくあの場所。

遠いのは、時間。

 

未来を、

まだ開花する前のあの日々が今は、

なんとか‥

ちぎれやぶれそうになりながら開花を終えた花のようになっている

 

将来なにになる?

の『将来』、世間一般にいうそれはもうすでに到来している。

僕は目を輝かせてみなが思うようなものにはなってはいない

だけど、それになりたかったわけでもなくて

つよがりでもないけど、それに見合うような思いも努力もなくて。

 

将来って、なに?

 

将来っていうのは本当に人生を二分するくらいに区切られるべきセカンドステージとしてだれもにどこかに存在するの?

 

将来って、つぼみが咲かせる花をよりよくするために、

今の蕾の準備がより未来に向けて意味があると実感するために設定された、

ある意味青春までにしか存在しない架空の理想的到達点なのでは?

 

夢はみるもの。

夢を見るのはいつも、現状から高く飛びたいと願う者

 

将来は、こどものころにはあるけれど、おとなになったら気づいたらみえなくなっているもの。

 

僕はそんな、『将来』とよばれるグランドに立ち、今日もまた、日々をすごしているんだ。

 

そして今。

将来ってのは、高く飛ぼうと望んだ時、だれにでも、いくつになってもそれは訪れるものだと知った。

 

将来っていうのは、遠くから見ればそこにあるけれど、いざ近づいてみると、届いてみると、なんでもないただの場所なんだ。

雲のような存在だ。

 

遅れがなんだ!
オレがたのしまなければ意味がない!
たのしいからしているんだ!
必要だからしているんだ!
だれかのためにしているんじゃない!
誰かがのためになるかもしれないなんてことのためにするなんていう奴隷根性はやめだやめだ!

 

風がすごくつよい
朝方少し冷えたけど、太陽がてっぺんまでのぼれば少し日差しは痛いくらいだ。

ベランダは四方を壁に囲まれるから風が通らなくて意外と冬でも日差しさえあれば寒くないらしい。

コーヒータイムからこのまま日が陰るまでをここで読書して過ごそうと思う。

こんなじじいのような生活、あこがれていた。

 

あこがれていた。