〇70日目(12/21水)


いつもの通勤前の公園でカフェオレ片手に思う。

 

「あの部屋では、いまの生活ではできなかったことをしよう」

 

そう思って借りたはず。

 

何をしようか迷走している中で、本を読んだり寝たり、寝たり、すこし寝ることが多いが、今一度考えてみる。

 

パソコンのネット記事なんかは職場でも家でもカフェでも見れる。

本も、電車の中でも耳栓すれば家でだって読める。逆にあの部屋で耳栓してまで集中して本を読む必要もない。時間が足りてないことはない。

 

あの部屋の強み、それは

「静かなこと」「人に話しかけられない自由があること」「誰にもしていることを見られないこと」

 

ならば。

 

「ネット記事を書く」

というのは相性がよさそうだ。静かなことはマストではないが、人の目があっては少々都合が悪い。

 

「自分との対話」

今僕に必要なものはなにか?とか、ひとつのお題でずっと思考の中を静音・無の空間でひたすらそれに捧げるというのは悪くないことだ。元来そういう場所でひとしきり考えたものがまた世間という騒音に満ちた中に適用される思考をもたらす。騒音の中で生まれる思考は、短期的で実用的になりがちだ。それはそれで生きるために大いに役に立つ。だけど、非現実的な空間で時間をかけて醸成されたものというのはそういうバグのパッチのようなものではなく、もうすこし生活だけでなく自分をも豊かにしていくなにかをさぐり当てる鉱山をさぐるような面白みがある。

閉店間際の人の少ないカフェ ーお気に入りはコメダー でもできなくはないが、やはりあの部屋にかなうものではないだろう。外はこの時期はとくに寒いから無理だ。体を壊しては元も子もない。

 

「イラストの練習」「小説」

これもいい。職場でも家でも僕的にははばかられるものだ。

 

ドローンを飛ばすのも向いている。外でも家でもカフェでもできない空間がある。

 

あぁ、朝日がビルの山からついに顔を出した。8時11分。

 

やることは決まってきたようだ。でもやってみないとそれは具体的にはいいとこもわるいとこも見えてはこない。やってみよう。

 

とりあえず、足先の冷えはなんとかしなければ・・。靴下かつま先カイロでも用意しよう。

 

ポストにはガスの検針票。

部屋に着く。冷える。でも掃き出し窓を開ける。それほど寒さは感じないが、それは立っているからだろうか。

朝の換気終了。掃き出し窓をしめてついに暖房解禁だ。

 

10分もしないうちに部屋があったかい。・・・あったかいな!

まじか。もっとはやくつければよかった。

 

とりあえず11時から14時の間は太陽が南中してそこそこあったかいから暖房オフタイムにしよう。

ん?でもずっとつけてたほうが電気代安いとかのライフハックはあるのか?今度調べよう。

 

せっかくのたのしい非現実空間な部屋ライフなのだから、お金も、出すものは出してしめるときはしめて、メリハリで快適な空間を自分てつくらないとね。

 

廊下とリビングの間の段差に△なクッションを買って衝突防止策を練ろうか?

ガスも入ったことだしフットバスでも入れて足をときたまあっためようか?

 

 

ところでふと、「赤ペン先生って怒ることあるのかな?」と気になったので検索をしてみることにした。

赤ペン先生 と入れたところで 「赤ペン生 キレる」という予測が。そこをクリックしてひとつ記事を開いてみると。

【※爆笑】赤ペン先生、ついにキレたwww 内容が衝撃的すぎるw(※画像あり)

思ってたような懇切丁寧な世話好きでちょっとお節介なキレ方をしている人もいれば、ノリツッコミからの痛烈な返しを決める先生までいろいろいるようだ。思わず吹き出してしまった。

逆に、この時代、先生が怒ることやコンプライアンスがなんとかでうるさい時代にここまで攻めた返しを決める赤ペン先生の姿にはある意味頭がさがる思いだ。

よくよく読めば突き放した感じに書いていることはなく、相手に合わせて親身にお節介を焼いているのはわかる。受け入れられるかどうか、下手したらクレームがつきそうなところまで攻めて行く姿は、憂いをかえりみない「赤ペン戦士」と呼びたくなるほどの熱量だ。

 

 

検索結果をスクロールしていたら赤ペン先生とは関係ないけどこんな記事があった。

「ご遺族の手記」

https://www.police.pref.chiba.jp/content/common/000004964.pdf

 

その淡々として穏やかな言葉からは、感情が血のように滲み、吹き出しているようにすら感じた。

そしてなにも無茶なことは言わず、あたりまえの日々を奪われることのつらさを綴っている。

こんないやな目にあう人がなくなればいいのに、そう願わずにはいられないが、それでも心のどこかでは無理だろう、難しいだろう、とも思ってしまう。

もうすこし時代がすすめば、交通事故はなくなるのだろうか。人の意識が高揚しないのなら、もはや技術で生み出された車は、その技術の力によってその脆弱性を正されるしかないのかもしれない。

僕には何もできない。それがかなしい。

だけど、僕にもできることはある。僕に何もできないわけじゃない。ただ、すべてを守る、すべての人を救うスーパーヒーローにはなれないということだ。

それがかなしい。

 

 

12時過ぎ。予定通りエアコンオフタイムなのだが、どうにも足が冷たくて痛い。

エアコンを消すのは無謀なのかもしれない。週1くらいしかこないのだ。点けておくことにしよう。

 

 

 

 


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