ウッディなテーブル、ボリューム感のあるチェアや椅子、そして…テレビ放送
これこそが老舗の喫茶の条件だろう。
いや、みながどうかは知らないが、僕にとってはそうなのだ。
年季が入っているけれど汚いとは感じさせないテーブル、
くたびれてきているようででもまだ柔らかく体を支えるクッション材をたたえた椅子、
絶妙にうるさくもなく聞こえなくもない音加減はまさに熟練のローディーとでもいうべき調整具合で。
そういう店が、僕は好きだ。
今日の街ブラ、ある程度お店はしぼってある。
方向音痴がいつもの遠回りをさせたあと、僕はこの店の前で傘を畳んだ。
「Cafe Mari」
窓際の席のカーテンの年季やオブジェ、見える景色などもたのしみのひとつだ。
お店お店に個性が出てくる。
オリーブだろうか。プランターが窓の外にのぞいている。外装はすこし色味のある白でまとめたタイルに小セビリアの風情を見る。
ホールの支配者は小柄でふわっと明るいきびきびとした熟練の動きをみせる女性だ。
(この人がMariさん、なのだろうか?)
アイスコーヒーは、苦味かな?とおもっているとスリーテンポくらい遅れて酸味が来る。
酸味かな?と、もう一度含んでも口当たりは苦味だ。
苦味の深い味なのに酸味でしめくくられる
『なぜだ』
苦さの余韻を酸味のさわやかさに付け替えたかんじの仕立てだ。
これはあまり味わったことないな。
あくまでも主体は苦味のようにおもえる。後味が酸味だからといって酸味のコーヒーと言うにはあまりに途中までが苦い。
ふむ。
でもさらに飲んでみると、結構酸味を最初から感じた。
モスキート音のように聞こえない領域に味が仕込んで合って、慣れてくるとそれがわかるようになる感じか??
深いな…
通のようなことを書いてしまったが、通が見たらきっと噴飯ものの評なのだろう。
だがそれでいい。僕は自分の感覚とともにあることをいまたのしんでいるのだから、僕は今僕の中で最高の評論家なのだ。フフフ。
そうこうしていうちにナポリタン。
牛筋煮込みカレーが今日のランチで売り切れとのことだったが僕にはまったく関係のない話なのだ。
僕はナポリタンを食べたいのだ。こういう雰囲気の中で。
ナポリタンを食べればその店のすべてがわか・・・るとかそういうのは知らない。
僕はナポリタンが好きなのだ。
好きか嫌いか、理由なんてそんなものでいい。余分なものはいらない。
皿は比較的幅広でだいぶ正円に近いオーバル、そしてもちろん当然の黒鉄板だ。
赤ウインナーにミートソース?トマトソース?の味がしみていてよい感じ。
中央にソースが集中しているタイプの盛りつけか。
僕は濃いところは濃く食べたいので端のほうに均等にいきわたるような愚は犯さない。
足りない分はホールの支配者がエプロンから取り出しておいていったタバスコで味をのせる。
僕はカレーなら「ご飯:ルー = 1:9」でもいい男だ。
白米も嫌いではないがそういう問題ではないのだ。
卵黄の「生」感が食欲を掻き立てるよ。
ほら、ずらすとこんなだよ! 肉厚ぅ!!
卵がふっくらボリューム。気分上がるな。
外は雨がいちだんとつよくなってきた。
どしゃぶりにはならない春のやらわかい雨だ。
もうすぐそこここで桜も咲くのだろう。
食後には…
コーヒーをおかわりだ。今度はブラックでいかねばな。
きつねにつままれたままで帰るわけにはいかないからな。
店の奥のほうで支配者と客が穏やかに世間話をしている。
席の数も問題なく、席と席との間隔も快適な距離感だ。
おひとりさまでも気兼ねなく気持ちよく迎え入れてくれる店だ。
そのすべてが老舗の喫茶に具備され含有されたものだ。ひとことでいうなら「居心地の良さ」とでもいったらいいだろうか。
牛筋煮込みカレーはこの次のたのしみにとっておこう。
僕はその思いを胸に店を後にする。
そういやコーヒーの化けの皮をはがす取り組みを完全に失念してしまっていたぞ!!
…まぁいい。こんな雨の日には化かされたままもよかろう。
今日のような雨の日に入った店でコーヒーを飲みながら脳内で再生されたのは
高橋ひろの「太陽がまた輝くとき」、でした。